日当たりのよい湿地に生える、高さ40〜70cmの多年草です。 北海道南西部〜九州に分布。 7〜9月に、茎頂にやや多数(25個前後)の緑白色の花を総状につけます。 ここでは高さ80cmくらいありそうな個体もいました。
ぜひとも見たいと思っていた花でしたが、愛知県の花友さんに情報をいただき、2014年に念願が叶いました。 ここで改めて御礼申し上げます。
里山に囲まれた湿原にたくさんいました。 環境省が、絶滅危惧Ⅱ類の植物に指定しています。 開発や遷移による湿原の消失が最大のリスク要因ですが、園芸・営利目的の盗掘・採集も少なからず数を減らしているリスク要因になっているようです。
線形の葉が、茎の下部に数個つきます。 左上の写真では、何株かまとまっているので葉が多く見えます。 葉の長さは5〜20cm、幅は3〜6mm、先端は細長く尖ります。 茎の上部には線形の鱗片葉がつきます(右上の写真)。 鱗片葉は、茎の上部ほど小さくなります。
茎の下部の葉の基部は、鞘状になって茎を抱きます(左上
の写真、矢印部)。 右上の写真は葉の基部の拡大です。
花は緑白色で目立ちませんが、たくさんつける
ので、何株かまとまっていると賑やかな印象です。
茎は直立し、三角柱状です。 花は茎の下から
咲いていきます。 本種は、全体的に無毛です。
花の形は本当に変わっています。 ラン科の花はユニークな形のものが
多いですが、この花は特別変わっています。 じっくり見ていかなくては!
花の径は8〜10mm。 まず目を引きつけられたのは、十字形に3裂した唇弁です。 このような形状の唇弁のランは初めて見ました。 淡緑黄色で、肉質な感じ。
正面からはわかりにくいですが、各裂片とも後方に反り返っています。 唇弁の長さは約2cmです。 側裂片は、Y字のように斜上します。 本当に変わっています。
ラン科植物の唇弁は、花粉を運んでくれる送粉者の昆虫に見つけてもらいやすくするための、言わば「広告塔」です。 「ココにいますよ〜!」と昆虫たちにシグナルを送るのが最大の役割です。 ミズトンボはこの十字形の唇弁で、いったいどんな送粉者をおびき寄せようとしているのでしょうか?
背萼片は円心形で長さは約4mm。 側萼片は半切腎形で長さ5mm、幅6mm。 後の写真でわかりますが、側萼片は平開し、背萼片の後方で左右の側萼片が接しています。 側花弁は、非常にゆがんだ幅広の鎌形です。
花の中心部を見ていきます。 背萼片と側花弁の基部には、それらに囲まれたように穴が見えます。 これは距への入口です。 この穴の奥の、距の底に、昆虫が欲しい蜜が溜まっています。
ラン科の植物は雄しべと雌しべが合体した、蕊柱という生殖器官を持ちます。 本種の蕊柱は短く、前方に突き出します。 淡褐色の細長い部分が葯室です。 葯室は2室あり、平行し、それぞれ1個の花粉塊が入っています。 花粉塊は葯室の中に収まっているので見えません。
花粉塊とは、非常に微細な花粉が数千〜数万個も集まり固まったもので、ラン科の植物の特徴の一つです。 花粉塊からは糸状の付属体が伸び、それが粘着体につながっていますが、上の写真では付属体は見えず、粘着体の下に見えるのは、言わば「粘着体の支持体」とも呼ぶべき部分です。 粘着体とその関係器官ついては、後の写真を使って詳しく述べます。 蕊柱の下部には柱頭(雌しべに相当する器官の先端部... 受粉を行なう)があります。
花の中心のドアップ。
正面やや斜め方向から見ると、よりわかり易いです。一番
前方に突き出しているのは、粘着体であることがわかります。
花を訪れた昆虫に、まずは粘着体をくっつけてしまいたい、
という意図を感じます。
花をやや下から見てみました。 水泳の飛び込
み競技の選手が、ジャンプした瞬間のようです。
側面から見ると、正面からは見えなかったものが見えてきます。 上でも述べたように、花粉塊につながった粘着体が一番前方に突き出しています。 唇弁の各裂片が、緩やかに反り返っていることがわかります。 特に中裂片は、単純な弧を描いている訳ではなく、緩やかなS字を描きながら反り返り、先端部はわずかに前方に曲がります。
距は長さ約15mmで、基部から中央部にかえて反り返りながら細まり、その後やや前方に向きながら、先端部が急に太くなります。 太くなった先端部に蜜が溜められています。
苞は線状披針形で、長さ8〜15mm。 花により、苞の長さに差がありました。 花柄子房の半分ほどのものや、花柄子房より長いものが観察できました。
花柄子房には縦に筋が入り、ねじれが無いことが有無が容易に観察できました。 ミズトンボは、花柄子房をねじらずに唇弁を下側につける、「ストレート・唇弁下側タイプ」のランです。
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別の花の側面です。 少し見えにくいですが、
距の先端部に蜜が溜まっている様子がわかります。
この長い距の先にある蜜を吸えるのは、長い口吻
を持つ昆虫に限られそうです。
粘着体の部分に注目してみます。 上左は花を斜め後方から見たもので、この角度が粘着体と花粉塊をつなげる「糸状付属体」が一番見えやすかったのです。 とは言え粘着体・支持体・糸状付属体とも白色なので、左上の写真の円内の拡大写真である右上の写真では、粘着体と糸状付属体に黄色く着色しわかり易くしました。
上はまだ粘着体が残っている花です。 送粉者の昆虫が蜜を求めて花を訪れると、粘着体が胸か腹につくでしょう。 粘着力は強力ですが、支持体からは簡単に外れます。 昆虫が花を離れる時、糸状付属体の先についた花粉塊が葯室から引っ張り出されます。 昆虫は花粉塊を体の下にぶら下げながら飛ぶことになるでしょう。 そして、別の花を訪れた時に花粉塊が柱頭に触れ、受粉されるのです。
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上の花は、右側の粘着体がなくなっています。 送粉者に持ちだしてもらうことに成功したのでしょうか? この写真では、右の葯室を見ても花粉塊が持ち去られたかどうかはわかりませんでした。
今回観察・撮影したほとんどの花が粘着体を残しており、上の写真を見つけるのに時間を要しました。 多くの花が粘着体を残したままでいるということは、送粉者の昆虫が非常に少ないことを意味します。 健全な受粉を行なうチャンスが少なくなる訳ですから、これは種の保存や遺伝子の多様性の観点から、好ましい現象ではありません。 植物が健全に代を重ねて生育していくためには、送粉者である昆虫の存在が不可欠であり、そういった昆虫が生きていける環境も必須です。
柱頭に花粉のようなものをつけた花がありました(矢印部)。 残念ながら、本種の花粉であるかは不明です。 本種の他の株の花粉であってほしいと思いました。
花の形も面白いのですが、ツボミの形もまた面白い。
開花前の段階で、距は十分に発達しているように見えます。
距の中に十分に蜜を溜めてから、開花させるのでしょう。
花被は側萼片と背萼片で、がっちりとガードされています。
開花はが始まった花の正面です。 左右の側萼片が離れてパックリ開こうとしています。 あの大きな十字形の唇弁は、いったいどのようにこの中にしまわれているのでしょう? 丸められていたのか、折り畳まれていたのか? 唇弁の中裂片のあの微妙なS字カーブは、ツボミのときにきつく巻かれていた名残かも知れませんね。 この状態の花を無理矢理開いてみればわかるかも知れませんが、それはしませんでした。
側萼片と背萼片が分離したばかりの花です。 この後左右の側萼片は、背萼片の後でお互いが接するほど大きく平開します。
やっと見ることができたミズトンボ。 調べ甲斐のあるランでした。 最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
2015.01.20 掲載
ラン科 ミズトンボ属の植物
みちほ (木曜日, 22 1月 2015 16:17)
はなさんぽさん、こんにちは!
遅ればせですが・・・今年も宜しくお願いしますね!
さて怒涛のように花情報が送られてきまして読んではいるのですがなかなか頭に入らない高年なんです! 今回のミズトンボの解説はもう植物学者の上をいくのでは? 素晴らしい解説、そして写真ですね。 感心を通り越して拝見しています。
写真は例のあのカメラなのでしょうか? ミズトンボ今だお目にかかれていません。 おもしろい形というかまんがみたいに可愛いというか・・・どう表現してよいやら。 出会ったらなんて声をかけようかしら?なんてことを想像しちゃいました! 花をこんなふうに観察することはあまりないのでまずは花の基本を学ばなくては・・・と考えさせられました。 今後も拝見しますので解説、宜しくお願いします。
hanasanpo (木曜日, 22 1月 2015 21:43)
みちほさん、うれしいコメントをありがとうございます。
こちらこそ、今年もよろしくお願いいたします。
ミズトンボ、面白いでしょう! とてもインパクトの強い花だと思います。
ご想像の通り、花のアップの写真の8割方は、オリンパス TG-3で撮影したものです! 超アップで隅々までピントが合うのが気持ちいいです。
デジイチ+マクロレンズは、花の中・遠景の撮影のみに使うようになりました。
花のページは、「花に興味を持ち始めた方」を強く意識して作っています。花に興味を持ち始めたばかりの方が「最初にぶつかる壁」を、少しでも楽に乗り越えられることを願いながら作っています。
ぜひまた遊びに来て下さいね!