「ここには咲いていないみたいだね。残念だが戻ろう」と相棒と言い合って、クマの足跡を横目に見ながら、うなだれて来た道を戻りました。 しかし途中で「この辺、なんだか怪しい!」と感じる場所がありました。 目を凝らしながらゆっくり歩いていたら、いたいた! 見つけました! 思わず少し先を歩く相棒に向かって「おーい、いたぞぉー!」と大声で叫んでしまいました。 なぜ往路では見つからなかったのかな?
第一印象はその美しさよりも先に「長いね〜花が!」でした。 見たことのあるラン科の植物の中では、断トツに細長い花冠です。 長さは3cmはあったでしょうか。 先端は半開しています。 高さ4〜10cmほどの植物体と比べれば、かなり大きな花と言えます。
上の写真は2株あるように見えますが、手前の花の茎は地を這い、根元は奥の花の根へとつながっているように見えました。 これは合わせて1株と考えるべきでしょうか?
じっくり見ると、かなり美しい花です。 うっすら紅色をした萼片の上品なグラデーションと、透明感のある白い花弁の組み合わせが絶妙です。 半開する具合も控えめでちょうどいい。 花柄子房から萼片にまばらに生える白い縮れ毛がご愛嬌。 ラン科の花には、どうしてこうも魅力的な花が多いのでしょう。
発見の興奮が少し静まり、目が慣れると周辺で別の数株を見つけることができました。 葉だけの状態のものもありました。
しかし、なんだか変です... ラン科の花には6個の花被片があるはず。 つまり3個の外花被片(萼片...背萼片1,側萼片2)と3個の内花被片(花弁...側花弁2、唇弁1)があるはずなのですが。 どうも足りないように見えるのです。
上はトップの写真の株を90°横から撮影したものです。 うまい具合に反対方向に咲いた2輪なので、正面と後ろからの姿を見ることができます。 右の正面を向いた花をじっくり見ると... 中央から下に垂れ下がり反り返っているのが唇弁であるのは確実。 その両側にやや斜め下向きに開いているのが側萼片でしょう。 そして上にあるやや幅が広いのが背萼片。 アレ? 側花弁はどこに?
さらに花に近寄ります。 あ、唇弁の基部はやや黄色味がかっていますね。 その部分にとても細かな毛状突起が2裂に並んでいるのですが... 見えるでしょうか? 写真をクリックして拡大すると見えるかも知れません。
蕊柱は長い花冠の奥にあるのか、見ることができませんでした。
それはともかくとして、上側の背萼片がどうも変です。 やけに幅広いし、側萼片にはない、縦に2本走る薄茶色っぽい条が妙です。 これは何でしょう?
上の写真の左の花は、上を向いています。 咲き始めはこのように上を向き、その後だんだん倒れて、右の花のようにほぼ90°横向きになるようです。 上向きの花は唇弁が手前側にあるので、ちょうど花を真下から見た状態と同じです。 この後、手前側に倒れて来るのでしょう。 このアングルで見ることができて、ラッキーでした。
唇弁の真下に、縦に細い筋があるのが見えるでしょうか? これは左右の側萼片の境界部の隙間であると思います。 つまり、2個の側萼片は花冠の基部で合着してなく、分離しているのです。
頃合いよく逆光になり、透き通るような花弁が美しい...。 え、花弁? そうですよね〜、側花弁が無いわけがない。 背萼片と思えた部分は、背萼片と側花弁がくっついたものであるに違いありません。
先に唇弁を見て下さい。 図鑑では「唇弁の先は反曲する」とありましたが、このように思いっきり反り返って、巻き込んでいるほどでした。
縮れ毛は花柄子房と萼片の基部に多く、中央に向かうにつれまばらになり、中央から先端にかけてはごくわずかになります。
そして注目の背萼片と側花弁ですが、淡紅色の背萼片と、白く透明感のある側花弁の境界線が、明確にわかります。 境界線上にまったく隙間は見えません。これは背萼片と側花弁が「くっつくように咲いている」のではなく、「くっついている」のだと考えます。 外花被片である背萼片と、内花被片の側花弁が組織的に合着しているのです。 こう考えないと、まるで1個の花被片のように見えるほど見事に合体しないはずだと思いました。
3つ上の花の正面の拡大写真で背萼片と思えた部分、そして2つ上の、上を向いた花の背萼片にも見える2本の条は、背萼片と側花弁が合着した部分が側花弁の裏側から透けて見えているのだと推測します。
以上より、結論はベニシュスランの花の構造は下の写真の説明のようになると思うのです。
背萼片と側花弁が合着したランの花は初めて見たので、初めは違和感を覚えたのでした。 ようやく構造が理解できて、スッキリしました。
しかしなぜ背萼片と側花弁が合着しているのか? それはわかりませんが、花の構造には、必ずそうなった理由があるはずです。 私の思いつきの想像では、このような非常に細長い花冠を支える構造体として、背萼片と側花弁を合着させることが強度を得る上で合理的であったのであろうと思っています。
ではなぜ細長い花冠にしたのか? う〜ん、これも自説があるのですが、どんどん違う方向に向かってしまうのでここでは割愛させて下さい。(*5)
なお、図鑑(*1)(*6)やネット上のベニシュスランを取り上げたサイト(50サイト以上見たかな?)では、「背萼片と側花弁が合着している」などとは一切書かれていませんでした(*2)。 なので、本当に正しいか100%の自信はありません。
図鑑(*3)には『側花弁は線形、鈍頭、萼片と同長』とありました。 私には側花弁が「線形」には見えないのですが、それは多少主観が入るので良しとしても、『萼片と同長』はちょっと正しくないと思います。 上の写真の拡大図で示したように、背萼片の先端は側花弁より少し飛び出しています。 萼片の方が長いのです。 『萼片とほぼ同長』と書いてあったのなら、納得するのですが。(個体差があるのかも知れません)
2枚の側花弁の先端部は窪み、その下にうっすらと線が見え、これは少なくとも先端付近では左右の側花弁が分離していることを示します。 長い花冠の途中で合着しているのか? あるいは根元まで分かれているのか? それは花を分解して見ないとわかりません。 興味はありますが私たちはそこまではしないので、誰かが教えてくれるのを待つか、詳細な報告を見つけるしかありません。
ところで花柄子房の「ねじれ」ですが、写真を詳細に調べてもよくわかりませんでした。 とても短い上に、苞に隠れてしまっているのです。 一部見える部分からはねじれは無いようにも見えますが、適当なことは言えません。 証拠写真もないので、花柄子房のねじれの有無と唇弁の位置によるタイプ分類は、現状は「不明」とします。
さてさて葉も忘れてはなりません。 網目模様が美しいでしょう! 葉は互生し、数個つきます。 大きいはの長さは約3cmです。 ツンと3本立っているのは、苞です。
図鑑(*4)には『表面はビロード状で、葉脈に沿って白斑がある』とありました。 ビロード状であったかは、触っていないのでわかりません。 写真からはそのような雰囲気は感じられません。 また『葉脈に沿って白斑がある』は今回見ることができた葉には当てはまらないと思います。 葉の模様は、個体差・地域差が大きいのかも知れません。
いや〜ラン科の花って本当に面白いですねえ! ベニシュスラン、ぜひまた見たい花の一つとなりました。
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今回は大変すばらしい花に出会えたのですが、つい理屈っぽいページになってしまいました。 最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございます。
自生地は、福島県の花友のYさんから情報を教えていただけたおかげで、非常に楽に見つけることができました。 ここで改めて御礼申し上げます。 ありがとうございました。
Yさんは、情報収集や探索に5年もの歳月を費やされた末にこの自生地を発見されたのですが、快く情報を下さいました。 私たちはそのことを肝に命じながら、花を観察しました。
*1 「山渓ハンディ図鑑2山に咲く花」 山と渓谷社、
「日本の野生植物1」 平凡社
*2 閲覧した中ではWikipediaの「シュスラン属」にのみ、『上側の3弁が互いにくっついて花の上側を覆う』という記述がありました。
*3 「日本の野生植物1」 平凡社
*4 「山渓ハンディ図鑑2山に咲く花」 山と渓谷社
*5 2014年10月に植物学者の方に以下の質問をしました。
「ベニシュスランは背萼片と側花弁が合着しているように見えます。
もしこれが正しいとしたら、他のランにはあまり見られない特徴と思います。
ではベニシュスランは、なぜそんなことをしたのか?
それは、あのとても細長く横向きの花冠を支えるために、強度の確保する必要があり、合着させたのではないかと。 1個の背萼片と2個の側花弁をくっつければ「3本の矢」ではないですが、格段に強度が増すハズです。
細長い花冠にしたのは、ポリネーターを選別するため。 長い花冠でも奥まで入り込んで花粉塊を持ち出してくれる昆虫だけに、来て欲しかった。 だから花冠を細長くしたが、自分で支えきれなくなった。このため、背萼片と側花弁が合着させて、形状を維持できるようにした。 この考えは、正しい可能性もあるでしょうか?」
これに対しては、以下のご回答をいただけました(素人の推測は間違っていなかったようです)。
『(ベニシュスランが)細長い花筒にしたのは、花粉塊を持ち去らない昆虫が蜜を飲む(盗蜜する)のを防ぐためと考えてまず間違いないでしょう。 送粉者はマルハナバチの中でも長舌のトラマルハナバチを知人が確認しています。 マルハナバチは体サイズも大きいので、昆虫が訪れたときの負担も大きいのではと思います。 合着しているとしたら(その考え方は正しい)可能性はあると思います。』
*6 「日本の野生植物」のシュスランの項に「萼片はやや同大、背萼片は直立し、側花弁とともにかぶとをつくる」とありました。「合着する」とは書いてありませんが、そのようにも受け取れる表現と思います。
2012.08.15 掲載
2015.01.03 記事追記(*5、*6)
BOGGY (水曜日, 15 8月 2012 12:29)
今日は大学の生物学科の教室で、ラン科の花の解剖学的解析という授業に参加してきました。
と、こんな風に襟を正して拝聴しないといけないような学術的な花の紹介でしたね。
これほどに熱心に花に接するのに敬意を表したいと思います。
おかげで色々知ることができて嬉しいです。
hanasanpo (水曜日, 15 8月 2012 18:11)
BOGGYさん、
いつもありがとうございます。
素人が勝手気ままに作っているサイトですから、
どうぞ肩の力を抜いて、楽~な気持ちでご覧ください!
ゆき (土曜日, 30 5月 2015 20:29)
こんばんは、HIROさん、Kenさん、紅しゅすらんの写真も、みました、ありがとうございます、先週も、見に、いきました、虫除けと、長靴をはいて、岩肌の苔むした、場所に、美しい葉が、力強く、生育してました、いつまで、存在しててほしいと、願うばかりです。紅しゅすらんの個性的なお花、いつ見ても、魅力的ですね。
HiroKenのKen (日曜日, 31 5月 2015 22:04)
ゆきさん、こんばんは!
ベニシュスランを見ることができたのですね!
なんともいえない美しい色のランですよね〜。
力強く生育していたとのことで、それを聞いただけで嬉しくなりました。
ずっと頑張って咲いていてほしいですね。
ゆき (月曜日, 01 6月 2015 14:13)
こんにちは、Kenさん、紅しゅすらんの写真ありがとうございます、開花前に、美しい写真で、みれて、嬉しいです、すこしずつ、増えてる元気な姿が、嬉しいです、離れた場所の砂地の壁に、ミヤマウズラも、元気でした。
HiroKenのKen (月曜日, 01 6月 2015 17:47)
いいですね、千葉県にはまだまだ素晴らしい自然が残されていますね。
ミヤマウズラも、いたのですね。砂地の壁ですか... なるほど!
情報をありがとうございました。
nobi (日曜日, 30 9月 2018 04:27)
参考になりました。これからの時期楽しみに地元の自生地訪ねて顔見て来ます
HiroKenのKen (日曜日, 30 9月 2018 05:35)
nobiさん、ご無沙汰しております。花が少ない季節になり、少し寂しいですね。来年はまた新潟県に遊びに行きたいです。
ゆき (水曜日, 26 6月 2019 16:07)
こんにちは、hiroさん、Kenさん、ベニシュスランの観察に、行ってきました。いつもの渓谷の通り道、谷まわりは、ヤマヒルとマダニが、でるので、道路脇の落石防止用の金網と崖の隙間に、新しい自生地をみつけたので、お花をみることが、できました、ベニシュスランの茎の部分が、グリーンの個体に、白いお花が、咲いてました。独特な、美しさでした、普通のベニシュスランも、咲いてました、素敵な、お花たちでした。毎年見守りたいです。こちらのベニシュスランは、岩【砂岩】に、着生するかのような、岩肌に、直接根を伸ばすタイプのようです。蘭菌と砂岩の相性が、よいのか、考えさせる、自生地です。
Ken (水曜日, 26 6月 2019 21:21)
ゆきさん、こんばんは。
ベニシュスランの新しい自生地が見つかって、よかったですね! ヤマビルとマダニは勘弁願いたいので、安心して観察できる場所が見つかってよかったです。 でも落石にはご注意を!
ベニシュスランの白花を見られたとは、スゴイですね! 見てみたいなあ! とても珍しいと思います。 岩に着生するかのように生えているのも不思議ですね。 砂岩の中にも、ラン菌が生息するのでしょうか? ワクワクする情報をありがとうございました!
花好きhi (金曜日, 07 8月 2020 18:48)
ベニシュスランの花、かっこいい気がしますが、なぜかこの花を見るとアズマイチゲを思い出します。まだ私はベニシュスランを見たことないので、いつか見れたらいいなぁと思っています。それにしても、ちっちゃいですね。見つけられるかなー
Ken (日曜日, 09 8月 2020 21:39)
ベニシュスランとアズマイチゲは、まったく特徴が異なりますが.... なぜ思い出されるのでしょうね? 花は、日本のラン科植物の中では、比較的大きい部類だと思います。自生している場所に行けば、きっと見つかると思います。