山地の落葉樹林下に生える、高さ20〜40cmの菌従属栄養植物(きんじゅうぞくえいようしょくぶつ)です。 このような植物は、日の光を浴び光合成をして栄養を作り出すことは、やめてしまいました。 その代わりに根に菌を住まわせ、菌から栄養をもらって(あるいは、奪って)生きているのです。
写真の株は、高さが約32cmでした。 地中に直立する根茎から、先が上向きになる根を多数束生することが、名の由来です。 根は、普通下の方に向かって伸びていくイメージがありますね。 でもこの植物は、根茎から上に向けて根を伸ばすというのです。 変わっていますね。 根を掘り起こして見ることは、植物が死んでしまうのでできませんが、いつか標本などで見てみたいものです。
2010年に分類上の基本種であるエゾサカネランを見ることができて以来、ぜひ変種であるこの花も見たいと思っていました。 しかし自生地の情報がなかなか得られない。 2014年には有力情報を得ることができ、探索に向かったのですが、発見できずに失敗。 今年(2015年)再チャレンジし、ようやく見つけることができたのです。
森の中で視野に捕捉したときは、思わず「ヤッタ〜! 見つけた〜!」と叫びました。
各部の詳細を見ていきます。 まず葉ですが、本種は菌従属栄養植物ですから、光合成を行なう葉はありません。 このためもう葉はいらなくなってしまったのですが、わずかに茎の下の方に、小さな葉の名残りがあります。
この葉について図鑑の解説を借りると「数個の筒状で膜質の鞘状葉(そうじょうよう)を互生する」とあります。 茎を刀に例えると、まるで刀の鞘(さや)のような形の葉を、鞘状葉というのですね。 この解説は、エゾサカネランのこの写真などを見ると、「ふ〜ん、なるほどね!」と納得できるのです。
上のサカネランの写真においても、「鞘状葉①」の部分を見る限り「なるほどね」なのですが、「鞘状葉②」の部分を見たら、「アレ? コレはナニ?」となったのです。 「鞘状葉②」は、基部は「鞘状葉①」の内側を、茎を半ば巻き込むようになっており、それはよいのですが、上部は2つに分岐(?)し、先端に妙なモノがついています(赤い矢印部)。 なんですかね、これは?
別な角度からも見てみましょう。 花の反対側に回って、上の写真の黄色の矢印部分を正面から見たのが、下の写真の黄色の円内です。
鞘状葉の先端につくモノにご注目! これは、花だ! 葉の先に花がついてる〜〜!
...いえいえ、そんなことはありません。 一番上の写真や、この後に出てくる花の拡大写真と見比べれば、これが花ではないことは明白です。
でも、花っぽい! 花になりたかったのに、なれなかったような... あるいは逆に、大昔はちゃんとした花だったが、必要がなくなったので、退化して葉のようになってしまったのか?
そもそも萼片や花弁、雄しべなどの花の構成要素は、進化の過程で葉が変形してできたものなので、葉の形状が花のようになっていても不思議ではないのかも知れませんね。
ネット上にもサカネランの写真や記事はたくさん見つかるのですが、このことに言及しているページには巡り逢えませんでした。 案外、気付かれないのかも知れません。 情報が得られないので、専門家の方にご教授いただきたいところです。
それでは、茎の上部の「ちゃんとした花」を見ていきます。
上は、サカネランの総状花序(そうじょうかじょ)です。 花柄のある花がたくさん固まってついて、総(ふさ)のような状態をこう呼びます。 花は多数ついていました。 大変なので数えていませんが、100個くらいはついていそうです。
花序の長さもエゾサカネランと違うと思いました。 エゾは、茎の高さに対する花序の高さは、1/3〜1/2程度。 対して本種は、1/2〜2/3ほどあります。 花序が長いのですね。 但し、多数の個体を観察した上での結論ではないので、参考程度に留めて下さい。
色もエゾと違います。 エゾは薄いベージュ色に近いですが、本種はもっと色が薄く、かつ、極わずかに黄緑色が入っているように見えました。
図鑑ではこのような色をよく「汚白色」と表現しますが、汚白色などという色は日常の中ではまず使いません。 このため汚白色と聞いてどんな色を想像するかは、人により大きく違ってしまいいそうです。 あるいは、想像もできないかも知れません。 好きではない表現でもあるので、当サイトでは使っていない色表現です。
横道に逸れてしまいましたが話を元に戻しましょう。さらに花に近寄ってみます。
花は面白い形です。 背萼片・側萼片・側花弁は倒卵形(とうらんけい:卵を逆さにしたような、上が太く下の方が細くなった形)。 長さは5〜6mmで離生します(合着していない)。 蕊柱を囲むように緩やかに湾曲し、先端は丸っこい。 側花弁は萼片と同形ですが、やや幅が狭い。
唇弁は長さ10〜12mmで萼片より長く、基部はやや袋状になっていて、先端は2裂します。 裂片は狭長楕円形で、これも先端は丸っこい。 距はありません。
この左右に開いた唇弁がなんとも愛嬌がありますね。 この花はなんだか熊の縫いぐるみを連想しました。
花被片(萼片・花弁・唇弁)の先端の一部が焦げ茶色になっているのは、この花が見頃の時期をやや過ぎて、傷み始めてしまっているからです。 若い株には、こんな焦げ茶色の部分はなく、全体ももう少し瑞々しい感じです。
花序の上の方が、花の傷みが少なかったです。
花は花序の下から上に向けて咲き上がるようです。
上の写真は、総状花序の下の茎の部分の花です。 少し形がおかしい花ですが、近くに他の花がなく観察しやすいので撮影しました。 茎、花柄、子房に白っぽくとても短い腺毛が、密に生えていました。 基本種のエゾサカネランは草全体が無毛なので、非常に重要な識別ポイントになります。
図鑑には「茎の上部、子房とともに縮れた褐色の短い腺毛を密につける」とありました。 しかし、今回見ることができた株では、その記述と一部異なりました。
まず「茎の上部」だけでなく、下部 -- 根本付近の茎にも腺毛はありました。 それは、3枚めの写真で黄色の円内ではなく、茎に注目していただければ、おわかりになると思います。
次に「縮れた褐色の短い腺毛」ですが、腺毛は縮れては見えませんでしたし、褐色にも見えませんでした。 色は白色というか、半分透き通って見えます。 上の写真の一部を拡大して下に載せました。
別件となりますが、上の写真のように花柄にはねじれは見られないので、サカネランは花柄をねじらせずに唇弁を下側につける、「ストレート・唇弁下側タイプ」のランです。
腺毛の様子を示す拡大写真です。 これを見る限りにおいては「縮れている」とは見えません。 株により、地域により差があるのかも知れませんね。 腺毛の色も褐色には見えず、透明感のある白に見えます(逆光のためかも知れませんが)。
写真の下の方でより顕著ですが、毛の先端は尖ってなく、球状に見える部分があります。 いかにも腺毛らしいと思いました。
念のため花序の上部の毛も確認しました。 花序の下部と同じように、花被片以外は腺毛に覆われていました。 けっこう毛だらけ、ネコ灰だらけです(若い人はわからないか)。 見えにくかったら、写真をクリックして拡大表示させてみて下さい。
本種は間違いなくサカネランであり、エゾサカネランではない、と確認できました。
ここで今一度、エゾサカネランの様子を確認しておきましょう。 草全体、花序、そして毛の有無の確認のための花の拡大写真を載せました。
エゾサカネランの花序は、茎の上の方にまとまってる感じです。 花序の長さは茎の高さの半分より短いように見えます。 また鞘状葉はサカネランが茎の基部付近についていたのに対し、エゾサカネランは茎の中ほどまであります。 これは非常に少ない個体数の観察結果なので、あまり信頼性はありません。
花序だけ見ると、サカネランとの差異はほとんどわかりません。 エゾサカネランの方が、やや密に花がついている感じはしますが明確な差とはいえません。
花の形は、本当にサカネランと区別がつかないほど似ています。 目を凝らして見ても、茎・花柄・子房に毛は生えていません。 エゾサカネランは、無毛です。
さて、毛の有無の再確認もできたので、そろそろこのページをクローズしようと思っていたら、とんでもないことに気づいてしまいました。 それは、花柄のねじれです。 エゾサカネランは花柄が180°ねじれていますが、サカネランは花柄がねじれていないのです。
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ラン科の植物の多くは、花を正面から見ると、唇弁が下についています。 しかし、中には唇弁が上側についているものもあります(つまり花が逆さま)。 更に、花柄(花柄子房)にねじれがあるものと、無いものがあります。 基本的には、次の3つのタイプに大別できます(注意:当サイト独自の、独断的分類方法です。学術的な裏付けはありません)。
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① 花柄子房が180°ねじれ、唇弁が下につく → 標準タイプ
エビネ、キンラン、クモキリソウなどなど、多くの種がこのタイプ
② 花柄子房がねじれず、唇弁が下につく → ストレート・唇弁下側タイプ
コアツモリソウ、クマガイソウ、タカネフタバランなど。このタイプも多い
③ 花柄子房がねじれず、唇弁が上につく → ストレート・唇弁上側タイプ
トラキチラン、ヒメムヨウランなど。 少数派だが、ランの原型か?
特殊なタイプもいくつかあります。
④ 花柄のねじれ有り・無しが混在し、唇弁が下側につく
→ ストレート・180°ねじれ混在型唇弁下側タイプ
⑤ 花柄子房がねじれず、唇弁の位置は定まらない
→ ストレート・唇弁位置無頓着タイプ
ツチアケビなど
以上のタイプの違いは、それぞれの種の進化に関係すると考えています。 従って、同じような進化の道を歩んできたと推測される、変種の関係にあるランは、基本的な項目であるタイプ分類は同じであると思っていたのです。 基本種のエゾサカネランが「標準タイプ」であるならば、変種の位置づけのサカネランも同じであろうと考えるのが合理的です。
しかし今回詳細を調べて、それが間違っていたことがわかりました。 サカネランは、「ストレート・唇弁下側タイプ」であったのです。 今一度上の写真をご覧下さい(サカネラン花の毛を示した写真)。 花柄にはねじれは認められません。
上の写真はエゾサカネランの花柄に180°のねじれがあることを示すものです。 画質が悪く申し訳ないですが、赤い矢印の部分にご注目いただくと、ねじれているのがわかると思います。
本当にそっくりなサカネランとエゾサカネランですが... こんな相違点を見つけると、「本当に変種なの? 別種じゃないの?」などと、私のようなシロウトは思ってしまう訳です。 これもまた、専門家の方にご指導賜りたいところです(専門家の方が、変種だとおっしゃっているのですけれどもね)。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
2015.08.14 掲載
薫る風 (木曜日, 30 6月 2016 10:52)
詳しい説明、本当にありがとうございます。
エゾサカネラン、南信に咲いているみたいですね。
灯台元暗し。嬉しいけど、どこの森に咲いているのやら。
気を付けて歩くことにします、希望を持って。
それにしても、本当によくわかる説明、感動しました。
HiroKen (木曜日, 30 6月 2016 21:36)
楽しんでいただけてよかったです。
菌従属栄養植物なので、毎年同じ場所に出るとは限らず、神出鬼没です。
事実、この株も今年は咲かず、昨年生えていた場所は跡形もありませんでした。
でも必ずしも深山だけにいるとは限らず、意外と人の生活圏に近い場所にいたりするので、ぜひ諦めずに探してみて下さいね。