日当たりのよい場所の樹皮に着生する、多年生のランです。 極端に短い茎から放射状に出る扁平な根が幾重にも重なりあって、樹皮に張りつきます(*1)。 根はすべて気根で、分岐せず、灰緑色を帯び、葉緑素があります(*2)。 葉緑素があるということは根で光合成を行っているということです。 日本に生育するランでは珍しい。 根の長さは概ね2〜3cm。 葉については、4.項で述べます。 根をクモの脚のように広げた姿が、和名の由来です。
分布は、古い図鑑では「本州の南関東以西」となっていますが(*4)、新しい図鑑では「本州の関東地方以西、四国、九州、沖縄」とされています(*3)。 筆者は福島県で見たことがあるので、日本のレッドデータ検索システムで調べてみると、福島県も分布域に含まれていました。 現時点では福島県が北限と思われます(注1)。
「樹木に着生して生きるランなんて、ちょっと変わり者だね」と思われますか? しかし世界のラン科の植物の中で、着生種は約7割を占めるそうです(*7)。 種の数でいえば着生ランが多数派ということですね。 日本では地面に生える地生のランの方が多く、着生ランは約40種が自生し、クモランはその1つということになります。
日当たりのよい場所に生えた樹木に着生しますが、樹幹の日陰側や、枝の下側に着生することが多いので、直射日光は苦手なようです。 光合成の効率だけを考えると直射日光が当たる側の方が有利と思いますが、樹上は乾燥しやすいという大きな問題もあるので、日陰側で生育するのでしょう。
着生する樹木は、筆者が見たことがある5箇所のほとんどがウメでしたが、庭のサクラや植林地のスギなどの枝にも着生するそうです(*1)。 ネット上の情報を探ると、カキ、トウヒの仲間、西洋シャクナゲにも着生が確認されているようです(*6)。
またスギの葉の上で発芽することも確認されています(*8)。 着生する樹木はウメとの相性が抜群に良いようですが、あまりうるさく選り好みしないのかも知れません。
他のラン科植物と同様、着生ランであるクモランも、菌根菌から養分を得ています。 共生している菌根菌は、担子菌門のCeratobasidium(ケラトバシディウム属)であることが、研究で確認されています(*8)。 但し、地生ランの共生菌であるCeratobasidium の菌とは、系統樹のクレイド(clade;分岐群)が異なり、Ceratobasidiaceae においても、着生ランとの共生に対して分化した菌群が存在することが示唆されるという研究結果があります(*8)。 つまり菌も、地生ランと着生ランに合わせて進化して来ているのでしょう。
ところで、クモランを一度樹皮から剥がすと、他の樹木につけることは不可能であるということが定説のようです。 根に回復不能なダメージを与えるのでしょう。更に、移植先に共生菌がいなければ、生きることは不可能です。 高度な設備を備えた実験室のような環境を用意しなければ、長く生育を維持させることはできません。『裏庭のスギに着生しているクモランを、玄関横のウメに移植してみようか』と思っても、試さない方がよさそうです。
.
2. ちいさな、小さな花について
「茎は極めて短い」と図鑑にありますが(*1,*2,*4)、外見的に「茎」と呼べそうな部分は、ほとんど見えません。 放射状に広がった根の中心部分が、おそらく茎なのでしょう。 その「茎」の部分から、6〜7月に、とても細くて、高さ1cmにも満たない花茎を1〜5本出し、 1〜3花を総状につけます(*2)。
完全菌従属栄養植物の中には、進化の過程で根も葉も捨ててしまった種がありますが、本種は根に葉の役割を持たせて葉をなくし、長い茎も「必要なーし!」と捨ててしまったのかも知れません。 もしかするとなかなかいさぎよい植物なのかも知れません(ちなみに本種と近縁種であると思われる、オオクモランには葉があります)。
写真#4でクモランのサイズがイメージできるでしょうか? この株では、根の幅は1mmほどに見えます。 根の厚みはわかりませんが、扁平な形状なので幅よりも小さな寸法でしょう。 花茎は長さ3〜4mm、花の長さは2〜3mm,花の直径は1mmほどでした。 何度見ても小さいなあ! 本当に小さい。 もし1株だけ木についていたら、なかなか気づかないと思います。
花は淡緑白色で、筒状です。 尊片と側花弁は基部で合着していて、花は平開しません(*1〜*4)。 写真#5で中央の花の唇弁に矢印を振っている理由は、唇弁の先端が細く尖り、花の内側を向いていることを示したかったためです(この後でも示します)。 クモランの花では、他の多くのラン科植物とは異なり、唇弁の位置は上になります(*2)。
写真の下の花は終わり、しぼんでいます。 花柄子房が膨らみ始めているので、受粉はしたようです。 また、花柄子房にねじれはないように見えるので、本種は「ストレート・唇弁上側タイプ」となりそうです。
多くのラン科の花は、唇弁を下側(地面側)につけるか、あるいは逆に上側につけるか、決まっています。 しかし本種は樹木の垂直な樹幹や横に伸びた枝の下側などに着生しており、見てのとおり花は様々な方向に向いています。 図鑑には唇弁は上と書いてありますが、実際に生えている姿を見ると、唇弁を上下どちらに向けるかは、まったく気にしていないように思えます。
唇弁を上下どちらにつけるかは、進化の過程で、その種と送粉者(ポリネーター:花粉を運ぶ昆虫など)との関係で決まって来ていると思います。 しかし、本種の送粉者は何か、研究者にもまだわかっていないようです(*1)。 こんな小さな花に訪れる送粉者は、いったい誰でしょうね?
#6 クモランの訪花昆虫。 マウスオーバー(PC)、タップ(スマホ)で拡大します
#6には、クモランの花を訪れた小さな昆虫が写っています。 長い触覚を持っていました。 送粉者なのでしょうか? それにしては、小さすぎる?
クモランの花の各部の名称を写真#7に示します。 中央付近の2花について示しました。 花被片はどれも大きさや色が同じようなので、このように図示しないとわかりにくいと思います。 萼片と側花弁はともに卵状披針形で、先端は尖ります。 唇弁も他の花被片に形状や色が似ていますが、よく見ると先端部が細い針のようになっています。 次の写真でもう少し近寄ってみましょう。
クモランの唇弁は長さ約1.5mm、舟形で、船の舳先(へさき)の部分が細い針状に伸びて、なおかつ、その先端は内側を向いています。 写真#8では、針状突起の中央付近を矢印で示しました。 右上の花の方がわかりやすいと思います。 ランの唇弁の形状は種により千差万別ですが、なかなかこのような形状の唇弁を持つランは思いつきません。
なぜ唇弁の先端が針のように細く尖り、内側を向いているのでしょうか? その理由については、図鑑や論文でも見つかりませんでした。 あなたはどう思われますか? 筆者は、これは「蜜標」の役割があるのではないかと推測しました。 訪花した昆虫に対して「この先にイイモノがあるからね!」と花の中心を指差しているワケです。
いや、違うかも知れない! 内側に向いた鋭い針状突起は、花の中心部に来た昆虫を容易に外に出さないためかも知れません。 突起が邪魔して昆虫がジタバタするとそれだけ花粉塊(かふんかい)が昆虫につきやすくなるからです。 ランはしたたかな植物ですから、それくらいのことを企んでいたとしても不思議はありません。
.
3. 花期の前後(産前産後)
花が咲く前と、咲いた後の様子を見てみましょう。写真#9はクモランの蕾です。
アテにならない推測ですが、開花まであと数日といった状態でしょうか。 この時点では開花した花を見たことがなかったので、この日は新たにいただいた情報を元に、張り切って出かけたのですが... このような状態でした。 残念無念じゃ〜!
「産前」のクモランは、ちょっとつまらなかったです。 花期を読むことが難しいランだと思いました。
写真は#10はクモランの果実です。 3個ある果実を矢印で示しています。 果実は蒴果(さくか)で、長楕円形で先が尖り、長さは3〜6mmほどで、下方だけが裂けて粉状の種子を出します(*4)。 この果実はまだ種子を出していません。 しかし... 撮影したのは10月の下旬です。 場所は違いますが、花は7月初旬頃に開花していました。 花が終わって4ヶ月近く経つのに、まだ種子を散布していないとは...?
写真#11もクモランの果実です。 場所は#10の撮影地からかなり離れてはいます。 撮影は4月の下旬です。 秋に見た果実よりも、色が黄色っぽくなっています。 まだ種子を散布していません! これらのことから、クモランの果実は、果実のまま越冬するのだと思います。 地生のランは、果実が熟すと直ちに種子を散布するので、果実の姿で越冬するとは意外でした。
果実期のクモランは、意外と結実していることが多いです。 まだ送粉者もわかっていないほどなのに結実率が高いということは、自動自家受粉している可能性もあるかも知れません。
写真#12は、果実の下面が裂けて種子を飛ばした後の状態です。 「産後」の状態とも言えましょう。 #11と同じ場所、同じ日の撮影です。 前年の果実はまだ裂けていないわけですから、この果実はそれより前、おそらく撮影の2年前にできた果実と推測できます。
綿毛のようなものが見えます。 これは何でしょうか? 次の写真で推測します。
写真#13は、種子らしきものが残った果実です。 黒っぽくなった果皮に多数の粉状のつぶつぶしたものが見えます。 断言はできませんが、これがクモランの種子である可能性は高いと思います。 小さすぎて形状は見えませんが、種子は楕円形をしているそうです。 その大きさは、長径が170μm、短径の37μmほどと(*8)、まさに「粉」と言ってよい小ささです。 筆者の推測ですが、他のラン科植物の情報を参考にすると種子1個の重さは0.1μgのオーダーだと思います(1千万分の1g)。
綿毛状のものの役割を推測してみました。 果実は下側が裂開するので、もし多数の種子だけが詰まっていたなら、裂けたとたんに、種子は一気に地面に落ちてしまうでしょう。 それは樹皮に着生する必要があるクモランにとって、最悪の結末です。
そうはならないように、綿毛状のものを作って、種子が絡みつくようにしたのではないでしょうか? そして種子は少しづつ風に飛ばされ、旅立っていくのです。
.
4. 葉はあるの? ないの?
成体のクモランのそばに、いくつか幼体のクモランが発生していました。 その中に根とは少し形状が違うものが生えていました。 根よりも幅が広いが厚みはあまりなく、葉のようにも見える形状なので「葉状体(ようじょうたい)」と呼ぶことにします。 写真#14で、通常の根に見えるものは青色➡で、葉状体を赤色➡で指しました。 果たしてこれは、葉なのでしょうか?
写真#15にもう1例示します。 葉状体のみ赤色➡で示しています。 葉状体は、十分大きく成長した成体には、見られませんでした。 成体の近傍か、成体もいない場所で見られました。 また、根が扁平な平たい部分を樹皮に密着させているのに対して、葉状体は立って縁の部分が樹皮についているように見えます。
葉については図鑑*2では記載なし、但し「クモラン属」の項目に「葉は線形か、またはない」とありました。 図鑑*3では「葉はほとんどない」とやや曖昧な表現であり、図鑑*4では葉について記述はありませんでしたが「小無葉気生蘭」と表現しているので葉はないとしているのでしょう。 さて、この葉状体の正体は?
答えは図鑑*1と論文*8にありました。 図鑑*1では「種子発芽後、葉のような扁平な器官が成長し、長さ1cm におよぶが、葉ではなく胚軸に由来する」とありました。 論文*8には次の記述があります。 「播種(はしゅ)1ヶ月後、菌根菌接種区の実生苗は葉状体に発達した。 葉状体には仮根の発達が観察された」、「クモランの実生苗は葉状体に生長した。 Mutsuura and Nakahira (1961) は発達した葉状体について、組織表面に気孔がみられたことから、 葉に代わる器官であると考えた」
詳細は論文をご参照下さい(どなたでも入手し読むことができます)。
以上の観察結果と文献情報から、「葉はあるの? ないの?」の問に対する答えは、「葉はない。 但し、発芽後生じ、幼体の期間存在する胚軸由来の葉状体には気孔が見られ、葉に代わる器官であると考えられている」となりましょう。
尚、発芽後葉状体の長さが1cmに達し発根するまでには、なんと約7年を要することが、論文*8で明らかにされています。 クモランの成長速度は、筆者の想像よりはるかにゆっくりしたものでした。
.
5. 驚愕の巨大株と逆さ富士
写真#16は愛知県のある神社の境内にあるウメの木に着生したクモランです。 これほど大規模な群生は見たことがなかったので、大変驚きました。 それまで見たことがあったのは、群生どころか、あちらに1つ、こちらに1つと、まばらに生える姿しか見たことがなかったので、本当に衝撃的でした。 上の写真に写っているのは、群生の一部です。
正直言って、株の大きさが巨大なのか、株の数が膨大なのか、わからないところがあります。 その両方かも知れません。 図鑑には「大株になると根は塊状になる」(*1)とありましたが、このような状態のことだったのですね。
このクモランの場所は、懇意にしていただいている愛知県の花友さんが教えてくれました。 偶然見つけられて、すぐに写真をメールで送ってくれたのですが、パソコンの画面いっぱいにクモランの群れが表示された瞬間、思わず「うわっ」と叫んでのけぞってしまいました。
花友さんが見つけられたときは、まだ花の季節ではなかったのですが、花期が近づくとわざわざ下見に行って状態を教えて下さったり、大変お世話になりました。
お陰様で多数の開花した花を見ることができました。 この場を借りて改めて御礼申し上げます。 ありがとうございました。
横に伸びた太い枝の下側にも、多数の巨大株が着生していました。 株の盛り上がり方がスゴイです。 ここまでになるには、数十年を要したのではないかと想像します。 神社のご神木なので、簡単に切られたりしなかったので、巨大株になるまで成長できたのでしょう。
あっ! 今気づきました、巨大株の周辺は、葉状体だらけです! あー失敗した、古い写真を探し回らないで、この写真を使えばよかった! 葉状体の数もハンパではありません。 今後何年後かには、多数の小株が発生することでしょう。 10年後、20年後にはいったいどんな状態になっているのか? それにしてもこのウメの木は、本当にクモランたちにとって極楽天国な環境なのですね。
「この盛り上がりを見よ!」って感じですね。 ここまでになると、「クラモン版逆さ富士」と呼んでもよいでしょう!....
「そりゃ違うだろう!」という声が聞こえてきそうなのでこの辺でお開きにします。
.
注1:「日本のレッドデータ検索システム」で色付きで表示される地域(都道府県)は、その地域で絶滅の危機に瀕していると指定された植物の地域です。 元々見つかったことがなかった地域と、数が多いため絶滅の危機に瀕してはいないと判断された地域は、その両方が白色で示されています。 たとえばクモランのページの地図では静岡県と愛知県が白くなっていますが、これは絶滅に瀕している状態ではないためであり、元々生息が確認されていない北海道が白く示されているのとは、意味合いが異なるので注意が必要です。
< 引用・参考文献、及び外部サイト >
文献・図鑑などの著作物や、個人・法人のWEBサイトには著作権があることをご理解の上、ご利用下さい。
http://www.bun-ichi.co.jp//tabid/57/pdid/978-4-8299-8117-7/catid/1/Default.aspx
文一総合出版 2015年5月1日 初版第1刷 p.120
*2 日本の野生植物 草本 1 単子葉類
平凡社 1982年1月20日 初版第1刷 p.232
*3 山渓ハンディ図鑑2 山に咲く花 増補改訂新板
山と渓谷社 2013年3月30日 初版第1刷 p.96
*4 牧野 新日本植物圖鑑
北隆館 1961年6月30日 初版 p.904
*7 ラン科着生種クモラン(Taeniophyllum glandulosum Blume) を用いた野外播種試験と
栽培条件下での共生菌を活用した 播種試験の検討
蘭光 健人 山下 由美 遊川 知久 辻田 有紀
日緑工誌,J. Jpn. Soc. Reveget. Tech., 44(3), 528―532, (2019)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsrt/44/3/44_528/_article/-char/ja/
*8 クモラン(Taeniophyllum aphyllum)の菌根菌同定と共生培養
谷亀 高広 大和 政秀
Proceedings of NIOC 2009, Nagoya , Japan
http://www5b.biglobe.ne.jp/i5825/NIOC2009/8%20YagameandYamato.pdf
(外部リンク先の最終閲覧日は、当ページの掲載日です。 外部リンクは、それぞれの運営者の都合などにより、削除・変更されることがあります)
2020.09.05 掲載