長野県南部、静岡・愛知両県の県境付近、及び岐阜県南部に分布します(*1,*5)。限定的な地域に生育しますが、分布域が広いコチャルメルソウと混生することがあります(*1)。 日本固有種であり、チャルメルソウの変種です(*1,*4,*5)。
山地の谷沿いや陰湿地の林下に生える多年草です。 今回の2ヶ所の観察地もやや薄暗く、地面は湿った感じでした。 花茎は直立、ときに斜上し、高さは15〜50cmになります(*4,*5)。
地下の根茎は短く、根出葉を束生します。 葉には長さ2〜8cmの柄があります。
#4は本種の葉の表面です。 濃緑色で、やや色が薄い班が入ることがあります。
葉身は長さ4〜8cmの広卵形で、基部は心形、先端はやや尖ります。 縁には不ぞろいの鋸歯があり、全面に粗い毛が生えます(*4)。 触るとざらざらした感触です。 写真では中央から基部にかけては毛がないように見えますが、角度的に見えにくいだけで、全面に生えています。 本種に限りませんが、毛の生える方向がカメラに向くと見えにくくなるのです。
#5は葉の裏面です。 淡緑色で、脈は紫褐色を帯びます。 ときに葉裏全体が紅色に着色することがあるそうです(*1)。 画像を大きく拡大して調べた結果、毛は主に葉脈上に生え、他の領域では縁付近を除いてほとんどありませんでした。
#6、#7は基部付近にフォーカスしたものです。 花茎は緑色を帯び、葉柄は紫色を帯びていました。 花茎、葉柄とも開出した白っぽい長毛が密生しますが、花茎は基部付近だけにあり、上部は長毛がなくなり腺毛のみになります。 葉柄は、全体に長毛が生えます。 葉柄がより毛の密度が高く、また下向きに生えているように見えます。
それにしてもこの仲間は、なぜ長毛を生やすのでしょうか? もし寒冷地や多雪地帯であれば、凍結防止かな? などと想像しますが、ここは太平洋側で雪はあまり降りませんし、高山でもないので春先以降はさほど寒くならないと思います。 ナゾです。
毛が生えている意味がわかった! (2018.04.09 追記)
今回作成したチャルメルソウ属4種のページを、国立科学博物館植物研究部 多様性解析・保全グループ 研究主幹の、奥山雄大先生に見ていただくという幸運に恵まれました。 この4種のページは、先生の論文や資料から多くの箇所を引用させていただいて作ることができたものです。 その奥山先生より、上記の毛の疑問についてご教示いただいたので、追記します。
・チャルメルソウの仲間に生えている長い毛の意義は今のところはっきりしないが、
おそらく昆虫の食害から身を守る働きがあるのではないかと考えられる。
・チャルメルソウでは調べられていないが、他の植物では、毛があると虫に食べられ
にくいことが知られている。
・頻繁に沢水に洗われるような場所に生えているモミジチャルメルソウで毛が殆どな
いのも、虫が水で流されてしまうので取り付きにくいからではないかと考えてい
る。
ご説明は本当にわかりやすくて納得もでき、とてもスッキリしました。 長毛は、地面を這い回って植物を見つけてはその葉を食う虫から葉を護るための、いわば「ねずみ返し」のような働きをする防御装置でした。 葉柄には地面から葉の基部まで、長毛が下向きに密生しています。 葉は光合成を行い栄養分をつくる大切な器官ですから、虫に食わせるわけにはいきません。 長毛を下向きに密生させることにより、虫は葉柄を登りにくくなり、撃退できるのでしょう。 そういえば、虫食いの穴だらけのチャルメルソウ属の葉を見たことがありません。
モミジチャルメルソウには長毛がないというご説明も納得できます。 植物が何かの器官をつくるためにはコストがかかるので、もし必要がなければ、余計なものはつくらないハズなのです。 モミジチャルメルソウは、食害昆虫が沢水で洗い流されてしまうような環境にいるので、わざわざコストをかけて長毛を生やす必要がないのでしょう。
ところで本種は写真#6・#7に示すように、葉柄だけでなく、花茎の基部にも毛があります。 これはなぜだと思われますか? ここからは筆者の私見というか想像の世界ですが、花茎の基部の毛は「ダミー」、つまり虫に葉柄だと思わせるワナではないかと思うのです。 葉柄と似た毛を生やしておけば、葉柄と間違えて登り始める虫がいるかも知れません。
花茎の毛は基部付近だけしか生やしていないので、登り始めてしばらくすると、とても登りやすくなるのです。 葉柄の何倍もの高さがある花茎を、虫はえっちら、おっちら、登ります。 ずいぶん高いところまで登って、やっと気が付きます。「なんか変だな? 葉がないじゃん。あれ? これって、葉柄じゃなくて花茎じゃん!」 だまされたことに気付いた虫は、「ちっ」と舌打ちしてUターンし、登ってきた花茎をまたえっちら、おっちら降りていきます。
やっと地面に到着し、今度は慎重に葉柄を選び、葉を目指して登り始めます。 しかし花茎よりずっと多い下向きの長い毛に阻まれます。 足もかけにくく、登りにくいったらありゃしない。 何度も滑って落ちてしまいます。 ふと見上げれば、はるか葉のつけ根までびっしり毛が生えています。 虫は気持ちが萎えてしまいました。
「ダメだこりゃ。 余計なところも登らされて疲れたし。 こいつの葉を食うのは諦めよう」 そうつぶやき、肩を落として去っていったのでした。
この物語は本当か嘘かわかりませんが、植物の器官はどれでも、必ずその形になった理由があります。 偶然にそのような形になったのではないのです。 植物は人間が考えるよりずっと巧妙で、したたかだと思います。 花茎の基部のみに生える長毛は、敵である食害昆虫を遠回りさせ、時間と労力を消費させるためのワナであると考えるとつじつまが合うと思います。 そう思われませんか?
花茎の上部に、まばらに花をつけた花序を形成します。 花は互生し、上部ほど間隔が狭まります。 花序の下の花から咲き出し、上に咲き上がります。 花数はばらつきがありますが、20個前後の個体が多かったです。
ここからいろいろな状態の花を見ていきますが、念の為、花のつくりを復習しておきます。 #9は本種の花の正面です。 真っ先に目につくのが、紅紫色で複雑な形をした花弁です。 萼裂片の間から開出し、羽状に裂けます。 7〜11裂しますが、これはチャルメルソウ属の中で最も多い部類です。
注目したいのが、花弁の縦に伸びる幅広の主裂片(と呼ぶのかな?)から横方向に側裂片(でいいのかな?)が伸びますが、側裂片の途中から、さらに分裂する点です。 #9の中央下側の花弁に注目すると、主裂片の先端は3裂しており、側裂片は9個あるので、この点だけ見ると12裂しているといえます。 ところがいくつかの側裂片は、さらに分裂して枝分かれしており、細かく数えると全部で17個の裂片があります。
花弁裂片の数え方の定義はわからないのですが、本サイトでは裂片の途中から分岐した小裂片もひとつの裂片として数えることにします。 従って上の花の下向きの花弁は、17裂しています。
萼裂片は卵状三角形で鋭頭、花期に直立します。 雄しべは花弁の基部付近から生え、花糸は葯より短く#9ではよく見えません。 葯は淡紫色を帯びていました。 見たことがある仲間の種では、裂開直前の葯は淡黄色であったので、この色は本種の特徴のひとつかも知れません。 花の中央の2個の花柱はとても小さく、柱頭は浅く2〜4裂します。
#10は花の側面です。 花茎にはやや長い腺毛上の毛が密生しています。 花柄と萼の外面は、より短い腺毛や、腺毛状の微突起が密生しています。
側面から見ると萼裂片が直立している様子がよくわかります。 萼筒は深い釣鐘形です。 チャルメルソウ属は、萼筒が釣鐘形と皿型の2群に分類できます。 それぞれ送粉者の昆虫(キノコバエの仲間)が異なります。 本種のように釣鐘形の萼筒を持つ種には、口吻の長いミカドシギキノコバエのみが訪花します。 本種と混生することがあるコチャルメルソウは皿型の萼筒で、口吻の短いキノコバエのみが訪花します(フタマタキノコバエなど)。 それぞれ別の送粉者がパートナーであるため、同所で混生していても種間雑種が発生することは稀だそうです。 尚、人工的に交配させると、簡単に種間雑種ができるそうです)(*1〜*3))。
#11は開花が始まった本種の花です。 きつく丸め込まれていたであろう花弁を展開しようとしています。 花弁の外面に腺毛の状微突が密生している様子が見えます。 人により見え方は様々でしょうが、私にはちっちゃなモンスターがこちらを見ているようにも見えました。
ミカワチャルメルソウの花はとても小さいので、ぜひ近寄って見て下さい。 花弁がたくさんの裂片に裂けるので、独特な姿を見せてくれます。 #12は花弁の展開を終えたばかりの花に見えます。 つぼみの中できつく収まっていたときのクセが取り切れず、裂片がまだヨレヨレした感じです。 でもこの状態の花も好きです。 自然の造形の妙を感じます。
#13は完全に開花した花です。 葯はまだ裂開していません。 花弁が細かいたくさんの裂片に裂けることと、赤色が濃いことにより、他のチャルメルソウ属の花よりずっと華やかです。 この後花弁はだんだん後方に反り返っていきます。
右上には、これから咲こうとしているつぼみが見えます。 こんな小さなつぼみの中に、雄しべや雌しべと共に、5個の大きく複雑な形の花弁が丸め込まれているなんて、驚異的です。 将来もし「丸められる太陽電池」ができたら、人工衛星をロケットで宇宙に打ち上げる際に、太陽電池の超効率的な丸め方のヒントになるかも知れませんね。
#14の花は、萼裂片が開ききっていないのに、すでに花弁が反り返っています。
萼裂片は直立どころか、まだ内側に倒れ込んでいる状態です。 なぜ花弁だけが先に展開しきってしまったのかわかりませんが、同じに見える同じ種の花でも、それぞれ個性があるのかも知れません。
完全に成熟したと思われる花です。 葯は裂開して花粉を出しています。 送粉者の足場としての花弁の準備も万全の状態です。 早くミカドシギキノコバエに来てほしいと思っているに違いありません。
#16の花たちのほとんどは、花粉も出し切って、熟年期に入ったように見えます。 花弁は球状に湾曲しながら反り返り、まるで球形の網のよう。
以上、様々な状態のミカワチャルメルソウの花を見ていただきました。
#17で再び花の側面を示します。 今まで見たことがあるチャルメルソウ属は、本種の他にコチャルメルソウ、コシノチャルメルソウとタキミチャルメルソウ。 写真をたくさん撮りましたが、なんと「苞」が明瞭に写っている写真は、1枚もありませんでした。 今回本種の撮影で、やっと「これが苞です」と言える写真を撮ることができました。
花柄のつけ根の、とても小さい緑色の葉のような部分が苞です。 よくわからない方は、写真#10を見直してみて下さい。 図鑑(*4)には「苞は小型で先端は3〜5裂する」と書かれていますが、さすがに小さすぎて先端の裂け具合までは見えませんでした。
最後に#18にチャルメルソウの仲間の花弁の模式図を示します。 模式図なので裂片の幅は無視、長さもアバウトで、裂け方のイメージを表現しただけのものです。
分裂数は種により様々で幅がありますが、よく見ることができそうな裂数を記載しました。
本種の分裂数の多さが際立っています。 逆の意味で、分裂しないタキミチャルメルソウも際立っています(稀に3裂することがあるそうです)。
人口的に交配すれば種間雑種ができるほど近い仲間なのに、この小さな島国の日本において、これだけ多様性に富んだ種が存在することに、驚かずにはいられません。
<撮影地情報>
#14以外:2016.04.16 愛知県豊田市 alt=450m
#14:2017.04.17 岐阜県南部 alt=320m
本種の自生地に案内して下さった岐阜県のOさんに、この場を借りて改めて御礼申し上げます。 貴重な花を見させていただき、ありがとうございました。
< 参考・引用させていただいた文献・図鑑や外部サイト(順不同・敬称略) >
文献・図鑑などの著作物や、個人・法人のWEBサイトには著作権があることをご理解の上、ご利用下さい。
*1 日本産チャルメルソウ属および近縁種(ユキノシタ科)の自然史 奥山雄大 筑波実験植物園
Bunrui 15(2): 109-123 (2015) (第13回日本植物分類学会奨励賞受賞記念論文)
J-Stageの以下のページからダウンロード可能
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunrui/15/2/15_KJ00010115016/_article/-char/ja/
こちらのページからも。
*2 おくやまの研究ページ チャルメルソウの仲間とその花粉を運ぶキノコバエの共生系
*3 国立科学博物館 生き物との関わりが形作る植物の多様性 奥山雄大
*1〜*3は、国立科学博物館植物研究部多様性解析・保全グループ/筑波実験植物園の
奥山雄大博士の文献・サイトです。 チャルメルソウ属の植物に少しでも興味がある方は、
ぜひにでも読んでいただきたい内容です。 きっと、もっと興味が湧くことでしょう。
*4 日本の野生植物 草本2 離弁花類 平凡社 1982年3月31日 初版第3刷 p.163
*5 山渓ハンディ図鑑2 山に咲く花 山と渓谷社 2013年3月30日 初版第1刷 p.280
*6 Plants Index Japan(撮れたてドットコム) 画像比較 チャルメルソウの仲間
*7 YList 植物和名ー学名インデックス ミカワチャルメルソウ
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最終閲覧:2018.04.08
2018.04.08 掲載
2018.04.09 基部に長毛が生える理由を追記