山地の樹林地に生える多年草です。 高さは10〜20cm、本州・四国・九州に分布し、花期は4〜5月です。 主に温帯に生えます。 早春から春本番の頃に、林内や道端などで見ることができます。
別名としてヤブエンゴサクやササバエンゴサクがあるようです。 しかし新しい資料では使われていることは少ないです。 ヤブエンゴサクはジロボウエンゴサクの別名としても使われていたらしいです。 またササバエンゴサクはかつて葉の裂片が細く線形楕円形のものを変種として扱っていたことがあったようですが、現在のY-Listには学名の記載もなく単にヤマエンゴサクの別名とされています。 以上より、多分に曖昧であるので、当サイトではこれらの別名を別名として扱わないことにしました。
北信州での花さんぽの途中で、山地の県道脇に咲いているところを偶然見つけました。 とてもフレッシュで花つきもよく、美しい青紫色に惹かれました。
この場所ではみな同じ花色でしたが、淡い青紫色から紅紫色まで幅があります。 もし出会うことができたなら、ぜひグッと近づいて鑑賞してみて下さい。 変わった形の花ですが、よく見るとなかなか美しいものですよ。
地下に球形の塊茎(かいけい)があり、春先にそこから地上部に茎を伸ばして花を咲かせます。 しかし落葉広葉樹林の若葉が広がる頃には、地上部は枯れて消えてしまいます。 翌年の春まで、地下の塊茎で生きるのです。
茎葉は互生し、2〜3回3出複葉。 小葉の形状は線形〜楕円形で丸みがあります。 葉の縁は全縁であることが多いですが、3裂することもあるなど、非常に個体間の変異が大きい植物です。
このため「これが標準的な葉の形」というものはないようです。 以下の写真#5〜#7で、葉のつき方や、小葉の形状の例をご覧下さい。
#5は、#1〜#4の個体と比較すると、花色の赤味が強く、紅紫色といった感じです。 葉は2回3出複葉です。 小葉の形状はより幅広く見えます。
#6の小葉は、さらに丸みを帯びていますね。
#7の小葉は、もう円形に近いです。 ヤマエンゴサクの小葉の形状は、同じ植物とは思えないほど変化に富むので、葉だけを見て識別することは難しそうです。
.
似た仲間との違い
さて、ケシ科キケマン属には、ヤマエンゴサクと花の形が似て、花色も近い植物たちがあります。 エゾエンゴサク(北海道に分布)・オトメエンゴサク(本州中部地方以北)、ジロボウエンゴサク、ミチノクエンゴサク、ムラサキケマンなどです。 これらの植物と識別する重要なポイントの一つに、苞(ほう)の形状があります。
苞( 苞葉:ほうよう ともいう)は、花がつぼみのときには、つぼみを包み守っています。 開花後は花柄のつけ根にあり、小さな葉のように見えます。 とても小さく、また花の陰になってしまい写真に写らないこともしばしばです。 しかしこの苞の形状に特徴があるのです。
#8の矢印で示した部分が、苞です。 ヤマエンゴサクの苞には切れ込みがあるのです(切れ込みを「歯牙」や「欠刻」ということもあります)。 普通2〜4の切れ込みがあり、つまり3〜5裂し、裂片の先端は尖っています。 エゾエンゴサク・オトメエンゴサク、ジロボウエンゴサクの苞には切れ込みがなく全縁なので、識別することができます。 #5にもヤマエンゴサクの切れ込みのある苞が写っているので、見返してみて下さい。
ヤマエンゴサクの苞に切れ込みがあることは重要な特徴なので、更に2枚掲載しました。 #9は、花ではなく苞にフォーカスした写真です。 #10は、開花した直後の個体で、花がまだ柔らかく垂れ下がっているお陰で、苞がよく見えました。 大きく写っているので、形状がよくわかります。
切れ込んだ苞の裂片の数はふつう3〜5片であることは上に書きましたが、切れ込みの深さは、苞の先端から1/4〜2/3ほどと、幅があるようです。
オトメエンゴサクを#11に掲載します。 オトメエンゴサクは、本州の中部地方以北の湿り気のある林内や林縁に生えます。 苞には切れ込みがなく全縁なので、ヤマエンゴサクと識別できます。 但し、稀に切れ込みがある場合もあります。 その場合は、3裂程度のごく浅い切れ込みか、やや深く不規則な切れ込みとなります。 こういったことが、識別を難しくする原因のようです。
ちなみにオトメエンゴサクは、以前はエゾエンゴサクと呼ばれていたものです。 2009年に本州のエゾエンゴサクは、北海道のエゾエンゴサクとは別種であると発表されました。 北海道のものの和名はエゾエンゴサクのままですが(但し学名は変更)、本州のものは新たな学名が与えられ、和名もオトメエンゴサクとされました。
#12のジロボウエンゴサクは、本州の関東地方以西、四国、九州に生える高さ10〜20cmの多年草です。 主に温暖帯に生えます。 花色は普通紅紫色なので、ヤマエンゴサクとの識別の手がかりになります。 そしてジロボウエンゴサクの苞にも、切れ込みはありません。(撮影:2016.03.27、茨城県西南部、alt=14m)
ここまで読まれて「こんな形の花で、苞に切れ込みがあれば、ヤマエンゴサクなんだね!」と思われたとしたら、それは早計です。 花の形が似ていて、苞が切れ込む植物もあるのです。
#13のミチノクエンゴサクは、新潟県以北の日本海側の多雪地帯に生える多年草です。 花色は淡い青紫色~紅紫色で、草姿もヤマエンゴサクと似ていますが、ずっと小型で、ひ弱な印象を受けます。 ヤマエンゴサクの花の長さは15〜25mmですが、ミチノクエンゴサクの花の長さは10〜13mmしかなく、この点だけでも識別可能です。
ミチノクエンゴサクの苞は、切れ込んだり切れ込まなかったりします。 #12の個体では、花序の下部の花の苞は切れ込んでいますが(赤矢印)、上部では全縁です(青矢印)。 また個体のすべての苞に切れ込みがあったり、逆になかったりする場合もあるので、観察時は注意が必要です。
#14のムラサキケマンは、日本全土の暖帯〜温暖帯のやや湿った場所に生える2年草です。 林縁などで普通に見られます。 高さは20〜50cmとヤマエンゴサクより大型です。 上で紹介してきた植物たちよりも、花がやや密につき、花色は紅紫色です(白花品種を除く)。 苞に切れ込みがありますが、櫛形に細かく切れ込むので、ヤマエンゴサクと見間違えることはないと思います。(撮影:2008.04.20 栃木県足利市 alt=256m)
上で見てきた近縁種の植物は、果実や種子にも違いがあります。 しかしそれらの写真資料は無いに等しく、画像なしの説明は困難なため、ここでは割愛させていただきます。 今後撮影できたならば、逐次追加していきたいと思います。
.
花のつくり
#15でヤマエンゴサクの花のつくりを見てみます。 キケマン属の花の形は少し変わっていますね。 花冠は筒状で、一方が唇形状に開き、一方に距があります。 花弁は外側に2個と内側に2個の、計4個あります。
①:外側・上側の花弁(上弁)
花の前方は半開し、中央が少し窪んでいます。 後方は袋状に伸びて距となり、長く突き出します。 距はやや垂れ下がったり、逆に上に反り返ったりと、様々です。 距の中には蜜腺があり、蜜を分泌します。
②:外側・下側の花弁(下弁)
先端から花柄まであります。 半開し、上側花弁と同様、中央が少し窪みます。 花柄より少し前の部分が膨らんでいますが、この中に胚珠が入っています。 胚珠は成熟すると光沢がある黒い種子となります。
③④:内側・左右の花弁(側弁)
大部分が外側の花弁に隠れて見えず、先端だけ顔を出しています。 花弁は左右から合わさり、先端が合着しています。 内部は見えませんが、中に雄しべと雌しべがあります。 雄しべは6個あり、雌しべの上下で3個ずつ花糸が合着した状態となっています。 ポリネーター(送粉者)の昆虫は花の正面にとまり、距に頭を突っ込んで吸蜜します。 そのとき昆虫の体重で②③④が花弁のつけ根の部分を支点にして下がり、②③の上部が開いて、雄しべと雌しべが出てきて昆虫の体に触れ、授受扮が行われるようです。
ヤマエンゴサクの花を見ていると、#16の矢印部のように、距に穴が開いていることがあります。 これは花が古くなって傷んだのではなく、オオマルハナバチなどの盗蜜昆虫が距の中の蜜を狙って開けた穴です。
花の正面にとまらないので授受扮には貢献せず、最短距離で距に穴を開けて蜜だけ盗んでいくとは。 ヤマエンゴサクにとってはなんとも迷惑な存在でしょう... と思って少し調べてみたら、少し事情が違いました。 オオマルハナバチは正攻法の受扮活動はしませんが、花序の上を動き回っているときに、花内部の繁殖器官に接触して受粉に貢献することがあるそうです。 ポリネーターとしても機能しているわけで、このような昆虫を「盗蜜型ポリネーター」と呼ぶそうです。
花のアップ画像で締めくくりたいと思います。 #17は紅紫色の花ですが、#15の青紫色の花のすぐ近くで咲いていました。 同じ自生地でも、色の差があるのですね。
< 参考にさせていただいた図鑑や外部サイト(順不同) >
文献・図鑑などの著作物や、個人・法人のWEBサイトにも著作権があることをご理解の上、ご利用下さい。
日本の野生植物 草本2 離弁花類 平凡社 1982年3月31日 初版第3刷 p.124-125
山渓ハンディ図鑑1 野に咲く花 山と渓谷社 2013年3月30日 初版第1刷 p.247-249
山渓ハンディ図鑑2 山に咲く花 山と渓谷社 2013年3月30日 初版第1刷 p.248
Plants Index Japan(撮れたてドットコム) 比較画面 - エンゴサクの仲間
福原のページ(植物形態学・生物画像集など) キケマン属エンゴサク亜科エンゴサク節、
CiNii 本州北部に分布するオトメエンゴサクCorydalis fukuharae Liden(ケシ科エンゴサク属)の変異性と,その分類学的位置 → 国立国会図書館のNDL ONLINEより複写物を入手
YList 植物和名ー学名インデックス Papaveraceae(ケシ科)
第51回日本生態学会大会 釧路大会公演要旨集
※ 外部サイトは、それぞれの運営者の都合により、変更・削除されることがあります。
最終閲覧:2020.05.20
2018.03.28 掲載