フガクスズムシソウ

 

富岳鈴虫草 ラン科 クモキリソウ属

Liparis fujisanensis F.Maek. ex F.Konta et S.Matsumoto

日本固有種  絶滅危惧Ⅱ類 (VU)

#1 フガクスズムシソウ  2019年7月
#1 フガクスズムシソウ  2019年7月

 

 冷温帯の落葉広葉樹林の樹幹などに着生する多年草です。 主として苔むしたブナの樹上に着生します。 茎の高さは3〜15cm。 基部に長さ5mmほどの小さな偽鱗茎があり、春に偽鱗茎のわきから新芽をのばし、葉を2個つけます(*1、*2)

 

 分布は本州、四国、九州の非常に限定的な場所です。 心無い者による園芸・売買目的の盗採やブナ林の減少により、各地で大幅に数を減らしています。

 

#2 フガクスズムシソウ  2015年7月
#2 フガクスズムシソウ  2015年7月

 

 5〜6月に、小株では1〜2花、大株では約20花が総状につきます(*1)。  上の写真の株では7花つけていました。 撮影は7月中旬であったので、地域により開花時期が異なるようです。

 

 今まで見ることができた株は、必ず苔むした中から生えていました。 多くは高木の上部につき、下からはるか上を見上げて眺めることになります。 そのような場所についた株は、花数が多い大株が多いように見えます。

 

#3 高木についたフガクスズムシソウ  2015年7月
#3 高木についたフガクスズムシソウ  2015年7月
#4 樹幹の高い部分の株は、花つきが良いように見える  2015年7月
#4 樹幹の高い部分の株は、花つきが良いように見える  2015年7月

 

 写真#3と#4は、高木の上部に咲くフガクスズムシソウです。 非常に希少な種なので、このような姿を見ることができただけでも幸運です。 苔の他にシダの仲間や地位衣類もついた樹皮に着生していました。

 

 この木は高さが30m以上ありそうな大木でした。 それにしては見上げる角度がきつくないように見える理由は、木は斜面の下から生えており、少し離れた小高い場所から撮影したからです(木の根本付近からではほとんど見えません)。 35mm換算で900mm相当で撮影してもこの遠さ。 でも「なんだか花つきが良さそうだ」という雰囲気は伝わるでしょ?

 

 非常に稀に、倒木などについていたり低い位置の樹幹について、近くで観察できる場合があります。 そのような株に出会えたら、とても幸運だと言えるでしょう。 本ページにある花のアップの写真は、そのような超ラッキー!な状態に巡り会えて撮影できました。

 

#5 フガクスズムシソウ  2019年7月
#5 フガクスズムシソウ  2019年7月

 

 葉身は長さ2〜8cm、幅1.5〜3.5cm(*1)。 縁がやや波打ちます。 上の写真の株は倒木についていたものです。 主観ですが、中型の株と言えそうです。 空間湿度が高いと思われる場所でした。

 

 本種 Liparis fujisanensis F . Maekawaは、植物学者の前川文夫博士により1971年に発見地の富士山にちなんで名付けられましたが、ラテン語の記載と模式標本の記載がなく、学名上はいわゆる裸名でした。

 

 また本種は形態的な特徴から「スズムシソウとクモキリソウとの自然交配種であろう」と考えられていた時期があり、古い図鑑(1982,*3)などではそのような記載があります。 但しその当時より、自然交配種ではないであろうとする見解もありました(例 1980, *7)

 

 その後、染色体などの調査が行なわれ、独立種であることが強く示唆され、掲題の学名も正式に記載されました(1997,*4)。 更に遺伝子の研究が進められた結果、独立種であることが確認され、また地生のオオフガクスズムシやクモキリソウと姉妹群(とても近い近縁種)であることもわかったのです(2008,*5、*6)。 興味がある方は末尾の引用・参考文献一覧からリンクを辿って論文を参照して下さい。

 

#6 フガクスズムシソウの花の側面 - 1
#6 フガクスズムシソウの花の側面 - 1

 

 写真#6は花の側面です。 花の正面からでは大きな唇弁に隠され多くの部分が見えなくなってしまうので、まず側面から見ていきます。

 

 花色は淡縁色の地に紅紫色を帯びます(*1)。 直径は約1cmと植物体の大きさの割には大きい(*2)。 背萼片は狭披針形で、縁が外側に巻き、やや後方に開出します。 側花弁は糸状で細く、長さ8〜12mm、幅0.2〜0.5mm(*4)で、緩やかに曲がりながら下に垂れます。 まるで昆虫の足のようにも見えます。

 

 唇弁は倒卵形で長さ約8mm、基部は前につきだし中央部で下方に強く湾曲します。

 

 側萼片は広線形で前方に突き出し、縁が内側に巻き込み、長さは8〜10mm、幅は0.8〜1.0mmです(*4)。 唇弁を下から支えるような位置にあります。 ここからは筆者の私見で、学術的な裏付けの無い話題となります。 他のクモキリソウ属(スズムシソウやジガバチソウなど)にも見られるこの構造は、文字通り唇弁を支える役割を担っているのだと思います。

 

 唇弁は、いわば花の「広告塔」です。 人間のオジサンたちを誘い込む、繁華街の夜のネオンサインや、居酒屋の赤提灯と同じ役割を担っているのです。 このためできるだけ大きくして目立たせて、空中を飛行する送粉者(花粉を運んでくれる昆虫)たちに見つけてもらう役割があります。

 

 しかし唇弁は大きいが薄いために、強度がありません。 飛行する昆虫が花を見つけたら、真っ先に広くて蜜標もある唇弁に着地しようとするでしょう。 大きな唇弁は、ヘリコプターが離着陸する「ヘリポート」のような役割も担っているのです。 しかし、薄い唇弁だけでは昆虫の体重を支えることはできず、曲がってしまい、昆虫は着地できないでしょう。 そこで、下から2個の側萼片で唇弁が曲がらないようにしっかり支えているのです。

 

 この側萼片も、背萼片も側花弁も、すべて細長い花被片の縁が巻かれ、いわば細い筒状になっています。 これはなぜなのでしょう? 今すぐできる、簡単な実験で理解することにしましょう。

 

 薄く細長い形状の紙を手に持ってみて下さい。 コンビニのレシートでも何でも構いません。 その紙の端を持って、真横に向けてまっすぐ保つことはできますか? できませんよね。 紙はどうしても下に垂れ下がってしまいます。 しかし、紙を長手方向に軽く巻いて筒状にしたらどうでしょう? 簡単に横に向けて保つことができると思います。 巻いて筒状にすることで、一気に強度が増すのです。

 

 高等植物であるランは、この原理を使って、最低限のコストで最大限の効果を狙っているのだと思います。 図鑑には、なかなかこういったことが書かれていません。

 

 上で側花弁が「まるで昆虫の足のようにも見えます」と書きましたが、送粉者の雌に擬態している可能性もあると思います。「えー? 本当かいな?」と思われた方は、後で「スズムシソウ特別ページ 虫を喰う、ラン!」を覗いてみて下さい。 「産卵場所擬態」や「性ホルモン擬態」など、面白い推論も載せています。

 

 本種の花柄子房は長さ10〜15mmで、基部付近がねじれています。 本種は花柄子房を180°ねじらせ唇弁を下側につける、「標準タイプ」のランです。

 

#7 フガクスズムシソウの花の側面 - 2
#7 フガクスズムシソウの花の側面 - 2

 

 写真#7は#6の補足で掲載しました。 唇弁以外の花被片が筒状に巻くことについて納得しにくいかも知れませんが、上の写真の背萼片にそれが示されています。

 背萼片の基部はきつく巻かれてまるで棒状のように見えますが、先端付近は巻きがゆるく、広がっていることがわかります。 側花弁には、巻いた合わせ目部分の線が見えます。

 

 蕊柱の先端付近に、やや出っ張った部分があります。 これを「翼」と呼ぶことがあります。 翼はどのランにもあるわけではありません。 種により異なる蕊柱の形状を表す一つの特徴となっています。

 

 花柄子房のねじれがよく見えます。 筆者は、花柄子房のねじれは何百万年の(あるいはそれ以上の)ランの進化の過程で起こった、あるドラスティックな変化の痕跡であると考えています。 その詳細について語り始めると長くなってしまうので、別の機会に譲りたいと思います。

 

#8 フガクスズムシソウの花の正面
#8 フガクスズムシソウの花の正面

 

 花の正面の写真は、唇弁ばかり目立ってつまらないですね。 唇弁は倒卵形で、長さ約8mm、基部は前につきだし、中央部で下方に強く湾曲します。 唇弁全体は淡い紫褐色で、中央中程から基部にかけて濃紫褐色の部分があるのは見てのとおり。

 

 側萼片の先端が唇弁の下から覗いています。 基部から唇弁と接する部分あたりまではきつく巻かれ、それより先は写真のようにゆるく巻かれています。 背萼片と異なるのは、背萼片が外側に巻き込んでいる(revolute)のに対し、側萼片は内側に巻き込んでいます(involute)。 これは内巻きにした方が、唇弁からの荷重に耐えられるからと推測されます(筆者私見)。

 

 言葉で説明しただけだと「はあ〜ん? よくわかんない」とスルーされてしまうかも知れないので、模式図を作りました。

 

図1 側萼片の巻く方向による強度の違い
図1 側萼片の巻く方向による強度の違い

 

 図1は唇弁の先端方向から唇弁と側萼片の断面を見た模式図です。 左上は本種と同様、側萼片が内向きに巻かれています。 右上はもし外向きになっていたら、こうなるという図です。 下側2つの図は、唇弁に荷重負荷が加わったとき(=昆虫が着地したとき)の様子です。 左下の内巻きの場合は、荷重負荷により側萼片の筒状形状は維持されるか、もしくはより締まって強くなるので、唇弁の落ち込みは最小限になります。 これに対し外巻きの場合は筒状形状が開いて崩れてしまい、強度が落ちるので唇弁の落ち込みも大きくなります。 つまり昆虫が着地しにくくなります。

 

 以上のように、側萼片を巻いて筒状にして強度を上げるにしても、巻く方向は偶然ではなく力学的にも理に叶った方向に巻かれています。 本種に限らず、すべての植物のすべての部位の形状には、「そうなった理由」があるのだと思います。 研究者であればそれを実証する実験を行い、論文にしなければ評価されませんが、シロウトは勝手にあれやこれやと想像するだけで許されます。 これは趣味の花好きの特権ですね。

 

 以上で説明は終わりです。 この後フガクスズムシソウの姿をいくつか見て、終了したいと思います。

 

#9 フガクスズムシソウの若い株  2019年7月
#9 フガクスズムシソウの若い株  2019年7月
#10 フガクスズムシソウの若い株の葉  #9の株を下から見上げたもの
#10 フガクスズムシソウの若い株の葉  #9の株を下から見上げたもの

 

 写真#9,#10はフガクスズムシソウのとても若い株です。 高さは測っていませんが、8cmにも満たなかったと思います。 開花した花を2個と、つぼみを2個つけていました。 小さくて、本当にかわいいです。

 

 花が終わり、種子を撒くと、葉は冬が来る前に落ちて、偽鱗茎だけが残ります。 翌年の春が終わる頃、またそこから2個の葉を出します。 そうやって何年もかけて少しづつ大きくなっていくのでしょう。 高木ではなく倒木上なのでこの子にとっては不利な環境ですが、なんとか立派な大株に育つことを祈ります。

 

#11 地生のフガクスズムシソウ? しかも白花?  2019年7月
#11 地生のフガクスズムシソウ? しかも白花?  2019年7月

 

 この株は2つの意味で驚きでした。 まず地面に生えていたこと、そして花色が非常に淡く、唇弁中央にある濃紫褐色の斑紋もなかったことです。

 

 着生ランであるフガクスズムシソウが地面に生えていることは不思議ですが、なぜそうなったのかは想像するしかありません。 元々樹上に着生していた株が何かの原因で剥がれて地上に落ちてしまい、そのまま根付いたのか? あるいは地上に落ちた種子から発芽したものなのか?

 

 本種及び、本種に非常に近い近縁種である地生のオオフガクスズムシと地生のクモキリソウを、それぞれの自生地で地上と樹上に播種し、発芽の有無を確認した実験が行なわれています。 その結果、オオフガクスズムシとクモキリソウは樹上では発芽できず、地上でのみ発芽したのに対し、本種は樹上でも地上でも発芽できたそうです(*5)

 

 この実験結果を見ると、どうも地上に落ちた種子から発芽した可能性が高いように思えます。 もしそうであったとしても、非常に稀なケースであることには、違いないでしょう。

 

#12 シロバナフガクスズムシソウ(でいいのかな?)
#12 シロバナフガクスズムシソウ(でいいのかな?)

 

 花色は非常に淡く、かすかに紫色を帯びた緑色でした。 唇弁中央の斑紋が見られないことからも、これは白花と言ってもよいレベルではないかとも思いますが、自信はありません。

 

 樹上にあった白花の株の種子が落ちて、地上で発芽したのか? あるいは、通常花の種子であったが、環境の違う地上で発芽したことにより、白花となったのか? これについてはわかりませんが、前者のような気がします。

 

 私たちはこの株を観察した後、そのまま放置しましたが、その後ある方の手により倒木の苔の中に移植されたそうです。 移植はうまくいったようで、今年(2020年)の花の時期には一回り大きな株となって花も咲かせていたと、人づてに聞きました。

 

 

< 引用・参考文献、及び外部サイト >

文献・図鑑などの著作物や、個人・法人のWEBサイトには著作権があることをご理解の上、ご利用下さい。

 

*1 日本絶滅危惧植物図鑑 レッドデータプランツ

   宝島社 1994年3月20日 第1刷発行 p.98

 

*2 絶滅危惧植物図鑑 レッドデータプランツ

   山と渓谷社 2003年12月15日 初版第1刷 p.420

 

*3 日本の野生植物 草本 1 単子葉類

   平凡社 1982年1月20日 初版第1刷 p.219

 

*4 Taxonomical Notes of Liparis fujisanensis (Orchidaceae)

           Fumihiro Konta and Sadamu Matsumoto   (1997)

   フガクスズムシ(ラン科)の分類学的ノート  近田 文弘、松本 定

     https://ci.nii.ac.jp/naid/110004699344

   (現在上記サイトから論文の閲覧はできません。筆者はこの論文のPDFを持っているのです

    が、入手経路がわからなくなってしまいました)

 

*5 シノブ科とクモキリソウ属(ラン科)の系統と着生性の進化

   Phylogeny and evolution of epiphytes in Davalliaceae (Polypodiales) and

         Liparis (Orchidaceae)

   堤 千恵 Bunrui 8(1): 81−85 (2008 )

   https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunrui/8/1/8_KJ00004872198/_article/-char/ja

 

*6 着生植物はどのように生まれたか?  国立科学博物館植物研究部 堤 千絵(2013)

   Chie Tsutsumi : Studies on the evolution of epiphytes

     (第11回日本植物分類学会奨励賞受賞記念論文)

   https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunrui/13/1/13_KJ00008580343/_article/-char/ja

 

*7 高知県中部のラン科植物  澤 完 (1980)

   Yutaka Sawa : Spontaneous orchids in the intermadiate zone of Kochi prefecture

   https://core.ac.uk/download/pdf/70353401.pdf

  

2020.07.24 掲載

 

 

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  2019年7月13日 スズムシ堪能

  2015年7月11日 富士の麓の観察会

 

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